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芹沢一也監修、絓秀美、橋本努、鈴木謙介、荻上チキ著

『革命待望! 1968年がくれる未来』

ポプラ社、20094月刊行

 

 

まえがき  芹沢一也

 

 

本書は20089月、立教大学で開催されたシンポジウム、「196840 全共闘もシラケも知らない若者たちへ」から生まれたものである。

 わたしたちはひとつの違和感をもって集った。

 いま若者たちのあいだで、生きかたをめぐる想像力が、あまりに貧困であることへの違和感。あるいは危機感といってもいい。

たとえば、ここに1枚のグラフィックがある。陳腐でありふれた内容だが、ひとつの「典型」といえるものだ。

頂上には「正社員」の若者がふたり、パソコンを前にして机に座っている。若者のひとりは机ごしに足もとをみおろしながら、「いまのところは落ちずにすんでいるけれど……」とつぶやく。下方へとのびる眼差しの先には、安定した生活を奪い去る転落の道筋が、はっきりと浮かびあがっているからだ。

ついで正社員の下の段、きわめて不安定な場所には、5人の「非正社員」の若者たちが立っている。「低賃金」や「細切れ雇用」といった言葉が書きこまれた床はひび割れだらけだ。壁にしがみつく若者もいて、いつそこから落下するかわからない。

 そして、3人の若者たちが落下する。

ひとりは雇用保険や医療保険といった、社会保険のマットの上に落ち救われるが、残りのふたりはバツ印がおされ、一方は「雇用保険に入れなかったんだ」といいながら、そして他方は「保険料を払えず保険証をとりあげられた」と、さらなる落とし穴のなかに落ちていく。

 ではふたりの運命は?

ひとりは生活保護という最後のセーフティネットに救われる。だが、もうひとりの若者は底なしの落とし穴にはまっていく。「病気じゃないなら働けといわれた」「家族に養ってもらうように、だって」「住所がない人はダメだと追いかえされた」と、「多重債務」や「ホームレス」という言葉の重しとともに、あたかも海底に沈みこんでゆくかのような顛末が暗示される。

 リスクと背中あわせの生ともいうべきこの人生行路は、ある新聞記事に載ったグラフィックによって視覚化されたものである。メッセージは明確だろう。

たとえ現在、正社員で生活が安定していたとしても、この社会にはさまざまな落とし穴があるのであって、いつ何時、安定した生活が失われるかわからない。「あなたがたの現在、あなたがたの未来、つまりはあなたがたの生は、つねにリスクを孕んだものなのだ」というわけだ。

 昨今、恫喝にも似たこのたぐいのメッセージが、さまざまなメディアによってまきちらされている。そして日々の生活が営まれる社会が、あちこちに陥穽が露呈した世界であるかのような感覚が広まっている。そうしたなか、若者たちのあいだで、生きかたをめぐる想像力が、かつてなくといっていいほど委縮している。

 これはきわめて巧妙な、統治のひとつの技法だ。「こちら側」に残りたければ、そして平穏な日常を送りたいと願うならば、もてる力のすべてを差しださねばならないといっているのだから。リスクへの怯えに蝕まれた若者たちは、かくして生活の保障を求めて国や企業にすがりつこうとする。

 現代日本社会にあって、いまや見慣れた光景だろう。

 対して、いまから40年前の1968年。若者たちは全共闘運動を闘っていた。

大学をバリケードで封鎖し、解放区を出現させ夜を徹して語りあい、あるいはゲバ棒や投石、火炎瓶を手に街頭闘争をくりひろげていた。

生活の安定を望むどころではない。

若者たちは生に規格を押しつけてくる権威や権力に反抗し、「民主主義」や「平和」、「市民社会」といった言葉をこそ、凡庸で平穏な日常を生み出すものだとして徹底して嫌悪した。

生が飼いならされる管理社会に抗して、人間としての真実をとりもどそうとした若者たちの運動。

全共闘運動とはそうしたものだった。

いつわりの日常を否定するために、熱狂を憧憬したともいえるこの運動の背後には、とはいえきわめて詩情に乏しい事情があった。大学の大衆化である。

戦後、大学進学率が急激に上昇していったが、ベビーブーム世代が大量に進学した結果、大学教育が「マスプロ教育」に堕した。大教室に100名を超す学生を収容し、教授がマイクを片手に講義を行う。当然、講義は一方通行で、しかも教授たちは、それまで行ってきたゼミ形式での高踏的な講義を、そのまま大教室で行っていた。

すべてがそういった調子で、大学は急激なマス化に対応できずにいた。しかもかつてとちがって、もはや大学生であることは、若者を特別な存在にしてくれなくなっていた。大学にあっても、社会にでても、もはやマスのひとりでしかない。学生たちは不満をかかえた。

あるいは、日常なるものに飽いた。

そうしたなかにあって、講義を討論会にかえて教授をやり込めたり、大学を占拠して学生だけの解放区をつくりだすことは、学生たちに非日常的な快楽をもたらしたのだ。要するに全共闘運動は、娯楽としての性格を濃厚にもっていた。

ついには日本帝国主義体制の革命をかかげたこの運動の、参加者それぞれの主観をたずねてみれば、もちろん真摯な問題をかかえた学生もいただろうが、大多数は不純な動機に突き動かされていたというのが実情だろう。たんなる娯楽から、仲間や居場所探し、あるいは女性にもてるためといったものまで。

そもそも運動という集合的な現象だったことからもあきらかなように、それは自立した人間たちの問いが生み出したというよりも、ひとつの流行現象だったといったほうがあたっているだろう。つまり、深い考えなどなにももたないノンポリであっても、運動への参加をうながされるような環境があったということだ。

さらに当時は、高度経済成長のまっただなかだ。人間としての真実などといった事柄が問題となりえたこと自体が、当時の学生たちが「豊かな社会」の特権を享受していたことを示している。彼らは貧困や生活の糧についてなやむ必要はなかった。

最近の若者は暴れないと、かつて全共闘運動を闘った世代から、非難めいた言葉がしばしばもらされる。だが、経済が右肩上がりだった時代にあっては、たとえ逮捕歴があったとしても、職にこまることはなかった。ゲバ棒をふりまわしていたくらいのほうが使えると、企業の人事の人間がいっていたような牧歌的な時代である。

要するに、かつてといまとでは、若者をとりまく環境がまったくちがう。それゆえ、生活保守主義的な志向をもつ現代の若者に対して、かつて権力に反抗した若者を対置してみても、なんの意味ももたないだろう。68年を神話化しようとするならば、それは滑稽なふるまいでしかない。

それゆえ本書は、「68年とはなんだったのか?」と問いはしない。訓詁注釈的な作業や思い出ばなしは、ほかの本にまかせよう。

ではなぜいま、68年なのか?

それは68年と、ひとつの〈問い〉を共有するからである。

国や企業に生活を保障されるような生きかたは、はたして人生で追及するべき至上の価値なのか?

本書が68年を召喚するのは、この問いをもって現在に介入するためだ。そしてここには、未来の歴史の創造にこそ、68年を投入したいという欲望がある。いうまでもなく、この欲望の持ち主とは、本書に集ったわたしたちにほかならない。

68年という出来事とともに、わたしたちには語りたいことがある。

それは、「いまとは異なった〈現在〉がありうる」ということだ。

68年が追い求めたのは、創造的な生であり、そして自由であった。いずれもここ日本社会では、すっかり輝きを失ってしまった理念である。たしかにわたしたちの生をめぐる現在は、数多の困難にとりかこまれている。だが、それでも現在は宿命的に決定されたものではないし、そこに創造性を発揮する余地がまったくないなどありえない。

現在がいかに必然的なものにみえるとしても、それでも必ずや別様なものでありうる。いまあるように存在し、行い、そして考えるのではないような、別様の存在のしかたや行いかた、考えかたは必ずある。そのような〈別様にありうる〉という可能性への信頼を、若者たちの生をめぐる想像力のうちにとりもどすこと。

これが本書のただひとつの目的である。